椅子物語 / chairsstory

主に、手許に残っていた1970年代中後期〜1980年代末期にかけてのチラシ(flyer)やパンフレット集成

すべてはもえるなつくさのむこうで Early Works Of Satoshi Sonoda, 1977 - 1978 】(Uploaded audio, Reviews,etc.)

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" Everything Lies Beyond The Burning Summer Grasses"  Memories Of Yasushi Ozawa

P.S.F. Records: PSFD-186

Country: Japan

Released: Feb 20, 2009 / 2009220

Format: CD

https://youtu.be/QK6sG6rQJ2o

1:15:27  full album

https://bit.ly/3hHRtDQdiscogs

【小沢 靖の思い出に】

 小沢君と初めて会ったのは、いつのことだったろう。ニコライ堂を左 手に眺め、聖橋からゆっくりとサインカーヴを描くように下りつ上りつ した果てに、あたかも来訪者を威圧し拒絶するがごとく......いやあるいは深く受容するがごとく聳え建つ、〔明大記念館〕なる牢獄 建築であったことは疑いない(今は取り壊され、跡地には“LIBERTY TOWER”という瀟洒な建物がたっている)。

 勾配に気を取られながら、木製の螺旋階段をぎしぎしと登りつめと、昼間でも奥行きが定かではない薄ぼんやりとした細長い部屋に辿り着く。

 76年当時の私は、この尖塔の一室でほんの一握りの学友たちと毎週木曜日の午後5時から9時まで「現代の音楽ゼミナー ル」なる集まりを開いていた。

 2つばかりの音楽雑誌に読者広告を出したこともあり、通称 「現音ゼミ」には今になって思えば、その後の幾つかのバンド結成や連続企画、吉祥寺マイナー等の活動拠点に連なる興味深い胎動を少なからず孕んでいた。〔連続射殺魔〕のギタリスト和田哲郎(琴桃川凛)や ベースの浜野純、新潟から上京したばかりの大里俊晴、大阪を離れ渋谷に居を構える山崎春美、それにフールズ・メイト編集長の北村昌士もここを訪れた。

そんな来訪者の中で、小沢君はなぜか某大学のロッキング・オンの会の連中とつれだって、ひときわ寡黙な足取りでやって来た。彼はまだ18やそこいらだったが、すでに老成の趣を漂わせ、都会人の例に漏れず、阿部薫や高木元輝、吉沢元治、豊住芳三郎などのライブに足を運び、西荻アケタの店や青山タワーホールで録音されたと思しき彼らのライヴテープを田舎者の私に貸してくれたりもした。

 また、神田美学校小杉武久音楽教場の生徒でつくる集団即興演奏グループ〔イースト・バイオニック・シンフォニア〕のレコーディングメンバーでもあった。さらに、前後して「老水一(おいみずはじめ)」のペンネームで、季刊『音楽』誌を発行するミュージック・リベレーション・センター〔イスクラ〕の最年少オルガナイザーとなった。

 声高に語ることはなかったが、彼は繰り返し言っている。「『音』と出会うことは世界の裸形と出会うことだ。世界と出会うこと。出会った世界を未だ出会わぬ世界に向かって投げ返してやること。...... 『出会い』は方法をもたぬ目的、目的をもたぬ方法、あるいは方法にして目的、目的にあらずして方法にあらざるもの。なぜなら『出会い』は『生』の暗喩に他ならないから。だから何よりもまず『出会い』を」「出会いのないところに表現はあり得ない。出会いの方法論を鍛えること。......我々は芸術家など欲してはいない。自らの表現衝動の『意味』を知り、隠されたコミュニケーション回路のあり方を透視しえる、『生』のあらゆる領域における『表現者』こそが今、必要なの だ」と(シリーズ企画「HOT BREATHリーフレット1976)及び季刊「音楽」12号(1977)後記より抜粋)。

 小沢君のこのような来歴や思考は、フリージャズや現代音楽を多少は聞きかじっていたものの、いまだ「プログレ小僧」の域を抜け出せない でいた私を、一挙に戦後日本の現代音楽やフリーミュージックの現場に引き寄せた。多田正美や向井千恵、今井和雄、椎啓、峰岸政春、服部達雄らバイオニックのメンバーをはじめ、吉村弘や芦川聡、佐野清彦、曽我傑のイベントやパフォーミングに触れるきっかけを作ってくれたのも彼だ。当時、小田急線の鶴川に住んでいた関係で、近藤等則や宇梶晶二(reeds)、飯島信一郎(b)、土取利行、ヘンリー・カイザーやデレク・べイリーらのライヴをやることもあった町田のジャズ喫茶〔カラヴィンカ〕で私がアルバイトを始めたのもその頃だった(小沢は終世、町田に住み続けた)。

 このような諸々のいきさつから〔現音ゼミ〕と〔Roの会〕は19761120日~23日にかけて、件の〔明大記念館〕脇の中庭ステージ及び〔5号館地下踊り場〕で、Evolution Ensemble Unity =〔EEU〕(高木元輝 ts近藤等則 tp,吉田守男bs)にサックスの三浦崇史が臨時で加わったカル テット、連続射殺魔、レコードをリリースして間もないイースト・バイ オニック、後に斉木豊、島根孝典、風巻隆らも加わり〔Tree〕と名前を変えた町田在住の〔岩永多旗夫グループ〕(岩永多旗夫g, 河野優彦tb, 皆川修 ds)に声を掛け、記念すべき 第一回目のコンサートを開催した。死の2年前 であったが、半夏舎の間 章(1946 - 1978)と初めて会ったのもここだった。

〔現音ゼミ〕はその後も、77430日に芦川聡(syn)と服部達雄(vn , vo)のデュオ、おそらく小沢がベーシストで加わった最初期の即興演奏トリオ〔Percussive  Unity〕、同じく彼がベースを弾き今回のアーリー・ワークスにも収められている私のバンドを含む、第2回目のコンサートを企画した。しかし、週一回の集まりは欠かさなかった。

 77年冬のとある昼下がり、六本木の寺山修司アトリエで日がな一日スロー"

エコロジカルなイベントを繰り広げていた〔 GAP 〕の面々(佐野、曽我、多田)と、それを「観察」しにやって来たマルチリード奏者の三浦崇史、〔イヴェント・アクシデント〕を立ち上げたばかりの小山愽人......この3者と出会ったことは、私の人生における最大の事件であり僥倖だったかも知れない。

 三浦さんは、竹田賢一、臼井弘之、灰野敬二、笹理祐らも名を連ねていた〔Vibration Society〕のバンマス的存在で、それまでもエネルギッシュかつ縦横無尽で多岐に渡る活動を展開していが、79年夏に30代半ばで突然逝ってしまった(このことがその後の即興演奏シーンに与えた損失は、ことのほか大きかったように思う)。小山は77年の1029日~30日に当時はまだ駿河台にあった中央大学の2号館と中庭で「哲学会」のサークル仲間と「音楽の終わりへ、作家、作品、演奏会を解体する作業を始めよう......誰でもその場で演奏に参加できる音の集会」という触れ込みのもと、GAPやバイオニック、佐野の弟子達で作る北鎌倉高校即興演奏グループ(後の火地風水)、〔からめく螺旋音〕(乙部聖子、桑原常代、向井千恵、堀川久子)、それにヴァイブレーションやEEUにも声を掛け、「Sound Yard」なる催しを企てた、張本人だった。

 私にとっては小沢君を起点とした3者との邂逅は、「音の最高度の臨時性と開かれた作業場」を求め、先の記念館や町田カラヴィンカ、江戸川河原、早稲田祭、スペースJORA桐朋学園(中止を余儀なくされた)などで78年1月からおおよそ1年間に渡って開かれた「Free Music SpaceFMS」や、その前後の吉祥寺マイナー、キッド・アイラック・ホール、吉祥寺羅宇屋へと続く、諸々の活動の分水嶺となるものだった。

 今回のアーリー・ワークス〔小沢メモリーズCD〕は、小沢君との出会いが私にいかなる『音─世界』との出会いをもたらしたか、その記憶と記録とを音盤に刻み込んだものである。そして「出会った世界を未だ出会わぬ世界に向かって投げ返す」試みでもある。小沢君ありがとう。 今、私ができることはこの程度に過ぎないが、安らかに眠って欲しい。

<曲目解説>

1 夕暮れ暗夜そして夜明け

 あらためて聴き直してみて、ギターの間奏部分に皮肉めいた掛け声と囃し立てるようなクラッピングが微かに聞いて取れる前半部がとりたてて〈プログレッシヴ・ロック風〉とは思わないが、後半の展開はやはりその影響も色濃く、今回は省くことにした。

1.あー 昏れゆく ひかりの なかで

  あー 聞こえる かすかな ひびき

  あー それは 触れあう 緑砂の 流れ

  あー それは 沈みゆく 深紫(しんし)

        さざめき

2.あー 明けゆく暗夜(あんや)のなか

        あー 去りゆく ものたちの つぶやき

  あー それは 死者たちの 群れ

  あー それは どこにもいない わたし

  どこまでも どこまでも あー はてしな

       

2 Poly-Performance[ポリパフォーマンス]

 現代音楽の作曲家が日本の伝統楽器や伝統音楽の演奏家のために書いた作品を「現代邦楽」と呼んでいたある時期(今はどうだろう)、門外漢であった私も遅ればせながら上野の文化会館小ホールや都内各地で日夜くり広げられる現代音楽やそれに類するコンサート、イベントに足繁く通った。NHKFMで日曜夜に放送され、上波渡のざっくばらんなトークが魅力でもあった「現代の音楽」の時間をすこぶる楽しみにしていた(武満のサインは行方知れずだが、上波さんが返してくれた手紙は今でも大事にしまってある)。柴田南雄(のちに近藤譲)が案内役をつとめ、年に数回ゴールデンタイムに放送されていた「海外20世紀 ライブ」も獲り逃さぬよう懸命だった。

 松村禎三は寡作な作曲家と言われるが、自身が音楽を担当した「竜馬暗殺」での路地裏を低く徘徊するがごときガットギターのコードワークはB&Wの映像を引き立て、我々の耳をそば立てた。「ピアノ協奏曲第一番」や「暁の賛歌」に顕著な、仄暗いスロープを昇りつめた先に訪れる怒濤のような奔流とカタルシスは他の作曲家にはみられないもので、そののっぴきならぬ「初源のリアリズム」と響きに圧倒された。一方で、「桐朋学園子供のための音楽教室」のために作られた「ギリシャに寄せる二つの子守唄」のなんとまぁ無垢な美しさよ。柴田も松村も鬼籍に入ってしまったが、「ギリシャ」の方は直系を自認する吉松隆に引き継がれた。果たしてピアノ・コンチェルトの強靭さと「深層のリアリズ

ム」を引き継ぐ現代作曲家を我々の時代は望むことができるだろうか。

 松永通温のシアターピースを収めた同名のアルバムがあったと記憶するが『Poly-Performance』は、ギターソロ部分のペンタトニックなフレーズに松村の尺八のためのソロピース「詞曲2番」の曲想や即興性色濃い山本邦山のプレイが多少は反映されているかも知れない。ただ、いくら野太い音色だとはいえ、国産のレスポールモデルのシングルトーンでそれを置き換えようとしたこと自体そもそも無謀な試みだった。現音ゼミを支えてくれた同志でもある中根のアグレッシヴなバイオリンと小沢君の律儀さが際立つ後半部分だが、実は合図とともに轟音の中に全員で雪崩打つ予定だった。タイミングを逸してしまい、結果的にシンプルなベースラインを強要したことがやや悔まれるが、79年2月に開かれたマイナー・フリー・サウンズワークショップで小沢はギターの大木公一と<定型リズムを基本とした即興演奏及び個別性>というアイデアを提示し「定型をあえて自らに強いて、委ねていくことも又一つの魅力ある方法だと思う」と語っているので、この際、許してもらうことにしよう。

3 すべてはもえるなつくさのむこうで

 私の青春時代のギターヒーロージェフ・ベックでもエリック・クラプトンでもジミー・ペイジでもなく、アメリカ国歌 "The Star Spangled Banner" を、なんの衒いや躊躇いも感じさせることなく軽々と爪弾くウッドストックでのジミー・ヘンドリックスとフリーのギタリスト、ポール・コゾフだった。バック・ストリート・クローラー時代の「 Time Away 」がコゾフ自身の葬送曲であるように、この「なつくさ」もまた私自身の鎮魂歌のようにも思える。テーマは当時愛聴していた菊地雅章の"Yellow carcas in the blue"や"Drizzling Rain"あたりの影響があるかも知れない。ここでも、窮屈そうにベースを弾く小沢君の姿が目に浮かぶ。叙情やセンチメンタリズムからは最も遠い所に居た小沢君だったが、この曲と演奏を小沢君へのレクイエムとしたい。

 すべてはもえるなつくさのむこうで

 ゆるやかにとうのはだをぬらすあめ

 むしたちのよぶこえみずのしたたり

 ひかりとたわむれるとりけものたち

 たましいをまねきよせるあのけはい

 うたわれているこのはのこもりうた

 だがゆびのあいだまだゆれるほのお

 すべてはもえるなつくさのむこうで

〔鈴木漠詩集『車輪』(1968)より〈塔〉後半部分/1973 発行 審美文庫「鈴木漠詩集」P56

4 しょんべんだらけの湖

5 untitled

6 むすんでひらいて

 そもそも真面目さと滑稽さとはコインの裏表ではなかろうか。

ANARkISSは私と山崎が二人でボーカルを折半した一回切りのJokingバンドで、「東京ロッカーズ」とのブッキングは吉祥寺マイナーの店主でガセネタの雇われドラマー佐藤さんの采配の妙というべきか。演奏後、楽屋で連中の一人から「ジョージでこんなことやっていいと思ってんのか?調子こくんじゃねぇぞ!」と凄まれた憶えがあるのだが、私はまったくその意味が呑み込めずただただうろたえた。The  Whoの大ファンだった私が、白いGパンを履いて三上寛を熱唱し尺八を吹いたりしたことがそんなに彼らの癇に触ったのだろうか。

 京都に居た中学時代の友人のすすめで、浜野純に初めて会った76年当時、彼は弱冠16才だった。誰にでも毒付く始末の悪い青年だったが、ギターの腕はピカ一で凄みがあった。マイナー時代の浜野はすでに確かな技術を持ったある意味ではとても計算し尽くされたギターを弾く男だった。モズライトからくり出されるドライヴの効いた飛躍的なギターワークは鋭利な刃物のごとく研ぎ澄まされ、今でも聞く者を震 撼させる。狂気を孕んだ早成のギタリストであり、大里俊晴に遅れて〔現音ゼミ〕にやって来た山崎晴美との出会いは「ガセネタ」の結成を既に予感させた。

 17歳の時に九州から単独でバックパックを背負い、中津川フォークジャンボリーに参加したこと、とりわけ三上寛をメインとサブの両ステージで目の当たりにしたことは、後の「 GAP 」との出会い同様、私にとってある種の僥幸だったかも知れない。ガセネタと学生時代の愛唱歌の一つであった「しょんべんだらけ」を歌うことができたのもまた。

 78年半ばのとある一日、小沢君と私はその頃笹塚にあった「 GAP WORKS 」の事務所から借りたオープンリールのデッキで、〔こたつで吠えろ〕=ガセネタの録音をした(彼らはくるくるとバンド名を変えるのが大好きだった。〔こたつ〕や〔て〕もその類である)。簡易的なセッティングで録られたその時の演奏は79年の2月にカセットテープでリリースする予定だったが果たせず、小沢君のナカミチカセットデッキで収録されたFMSのライブとこの音源が大半を占める『SOONER OR LATOR が、大里の了解を得られぬまま、93山崎春美の手によりリリースされた。

 音楽的には全く異質のものであったが、極めてシンプルなコード進行と吉祥寺マイナーというワン&オンリーのスペースにおいて、ガセネタはジュネや工藤冬里川田良のワースト・ノイズらとともに東京ロッカーズと同衾していた。

7 Collective Sound Events

 この記録をまず「音楽」と呼ぶにはいささかためらいがある。各人の音楽的経験や方向性が異なるのはむろんだが、とりたてて決めごとや時間的制約、あるいは始まりや終わり、それに盛り上りといった盛り上りもないまま、割れて歪んだ青海波のごとく寄せては返す隙間の多い音の連なりは、個々の演奏家の気質や嗜好、思惑を越えて、自己主張や自己表現、音楽的完成度や習熟、専門性といった呪縛や妄信、特権意識を否応なく脱臼し粉砕しようとする。いやなによりも、音楽作品や音楽史、音楽的構造や演奏行為をいったんばらばらに解体しては再構成し、しかし、ニヒリズムに陥ることなく、そのプロセスや手付きまでをも披瀝し交感と交換の場に持ち込もうとしたのが佐野、曽我、多田らによる〔GAP〕ではなかったか。

 サックス奏者、篠田昌已の生誕50年に当たる2008年、私は≪篠田昌已 act 1987という、作品とドキュメントの中間くらいに位置する記録映像を引っ提げ全国で上映会を開いた。そして、大熊ワタルクラリネットで参加して間もない東京チンドン長谷川宣伝社・楽隊の演奏風景に「チンドンというのはトタン屋根に雨が落ちるようなもので頑張りとか盛り上がりとかそういうのじゃない世界なんだ......」という篠田自身の言葉をテロップで流した。

 CD最後に収められたこの演奏との音楽的共通性云々ということではないが、篠田や小沢、GAP、イヴェント・アクシデントやFMS、あるいは後のヴェッダ・ミュージック・ワークショップなどが理念として掲げた、〔開かれた作業場〕への強いこだわりは、たとえ現れてくる音や音楽は千差万別であっても、専門的な訓練を受けたミュージシャンとそうでない者、批評家や技術者等々が同じ土俵で、音楽によるあるいは音を媒介とした共同性や集団のあり様やあり方を鋭く問い掛けようとする試みだったと思う。そして「神秘主義」や「超越性」「素朴還元論」にた易く寄りかかることなく、「情況への対峙」を指針とし、行動やパフォーミングに及んだのが、曽我や佐野、多田ら〔GAP〕や小沢が属した〔イスクラ〕あるいは半夏舎、ダーク・デザイン・インスティテュート、学習団、小島録音で構成された〔環螺旋体〕ではなかったろうか。

 この、高低差のある大教室の中でめいめいがめいめいに楽器やアン プ、音具類を持ち寄り発話発音を試みるサウンド・イベントと同時進行で、中庭ステージではバイブレーション・ソサエティが演奏をおこなっていた。途中、何らかのトラブルが生じたのか、録音には竹田賢一の声も聞こえる。最後の方で鳴り響くトランペットは多田正美で、ソプラノサックスのとぼけたフレーズはステージが終わり会場を訪れた三浦さんのような気がする。でも、もう思い出せはしないし、もはや思い出す必要もないだろう。(文中敬称略)

 

 

レコーディングデータ (In Japanese)

 

1   Free Music Space1

Date: 1978年1月22日

Location: 駿河台[明大記念館]

Performers: 園田佐登志(g.vo),

石田 一成(ds),鈴木 誠(bs)

       

2   Free Music Rev. Rehearsal

Date: 1977年4月29日

Location: 明治大学和泉校舎6番教室

Performers: 園田佐登志(g), 小沢 靖(bs),

中根 清吾(vl), 上田みつひろ(ds)

 

3   Free Music Rev. Session

Date: 1977年4月27日

Location: 明治大学和泉校舎6番教室

Performers: 園田佐登志(g), 小沢 靖(bs),

伊能 康夫(ds) 

 

4. 5. 6.   [ANArKISS] "Liv e At Minor" with SEX,

自殺, PAIN, Speed

Date: 1978年9月14日

Location: 吉祥寺[マイナー]

Performers: 園田佐登志(vo-4, g-5, 尺八-6),

浜野 純(g-4, bs-5, ds-6), 山崎 春美(vo-5, スクラッチノイズ-6), 大里 俊晴(g-4, sax-6), 佐藤 隆史(ds-4, bs-6)

 

7   Free Music Space 6

Date: 1978年5月26日

Location: 明治大学和泉校舎8番教室

performers:[火地風水](高橋 文子, 織田 淳子,

太田 弥生, 三上久美子), 佐野 清彦, 園田佐登志,

向井千惠,(多田 正美)(三浦 崇史)⋯

 

1 〜 3   Satoshi Sonoda [園田佐登志]

4   Kan Mikami [三上 寛]

5 〜 7 Anonym]

 

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Review

By Volcanic Tongue

Artist:  Satoshi Sonoda
Album:  Everything Lies Beyond The Burning Summer Grasses: Early Works Of Satoshi Sonoda 1977-1978
Label: PSF   CD


Dedicated to “Memories Of Yasushi Ozawa”, the late Fushitsusha bassist, Everything Lies Beyond The Burning Summer Grasses is a major collection of otherwise unreleased material put together by Satoshi Sonoda from the late 70s that provides an illuminating snapshot of the breadth and depth of the then-nascent Tokyo underground sound. Sonoda founded a student club at Meiji University dedicated to the appreciation of fringe and avant garde music and his ‘club’ functioned as one of the central pegs in the underground scene, attracting players like Yasushi Ozawa and Chie Mukai, both of whom make appearances on this CD. Sonoda was a formidable electric guitarist in his own right, influenced as much by rock groups like Free and The Jimi Hendrix Experience as Keith Rowe, Sonny Sharrock and Derek Bailey. This archival CD bundles a clutch of performances featuring or related to Sonoda: a series of different shows from Free Music Space/Free Music Revolt - a free-improvising ensemble along the lines of Group Ongaku/East Bionic Symphonia/Marginal Consort - and ANARkISS, a crazed punk/Velvets/avant garage group active on the Minor scene and featuring members of Gasaneta. The Free Music recordings are revelatory, combining fractured improv moves with endless repeat-riff boogie and almost Mazzacane-styled wrist action, conflating psych rock and outside modes with alla the genre-gobbling ferocity of the modern PSF aesthetic. The ‘77 material featuring Sonoda, Ozawa, Seigo Nakane and Mitsuhiro Ueda is particularly beautiful, a triumphal psychedelic groove inspired by the most iconoclastic rock guitar testimonials. In his excellent liners - full of touching memories of Ozawa - Sonoda asks for this track to be played at his funeral. Later Free Music tracks feature Chie Mukai of Tokyo acid folk group Che-SHIZUalongside some mysterious underground figures. But the real gravy may be the ANARkISS tracks, recorded live at the legendary Minor cafe in 1977. The three cuts are absolutely scalding, with crazed brokedown guitar, wretched gobble-punk vocals and a furious Kan Mikami cover providing one of the more persuasive distillations of the whole Minor ethos outside of the Gasaneta and Noise CDs. A vital addition to your Japanese underground shelf: highly recommended.

http://www.volcanictongue.com/tips/show/139dead link

後期不失者のべーシスト小沢靖の思い出に捧げられた「すべてはもえるなつくさのむこうで」は、園田佐登志によって編集されなければ発表されることがなかったであろう貴重なコレクションである。これらの音源は、1970年代後半以降に黎明期を迎えようとしていた東京のアンダーグラウンド・ミュージックが有する幅広さと奥深さを照らすスナップ写真を私たちに見せつける。園田は明治大学に於いて、実験的、前衛的な音楽を批評するサークル([現代の音楽ゼミナール]=[現音ゼミ])を作った。彼の[現音ゼミ]はアンダーグラウンド・シーンにおける評価基準の一つとしての役目を担い、このCDに登場する小沢靖 や向井千恵のようなミュージシャンを惹きつけた。園田自身はなかなか優れたギタリストで、フリーやザ・ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのようなロック・グループだけでなく、キース・ロウ、ソニー・シャーロック、デレク・ベイリーにも影響を受けている。アーカイヴ的なこのCDは園田にスポットを当てた、あるいは彼に関係するパフォーマンスの数々をまとめた1枚だ(以下はこのCDの主な聴きどころである)。

フリー・ミュージック・スペース / フリー・ミュージック・レヴォルトからの様々なライヴのシリーズ。─ グループ・音楽、イースト・バイオニック・シンフォニア、マージナル・コンソートと同系統のフリー・インプロヴィゼーションのアンサンブル。─ ガセネタのメンバーをフューチャーしたANARkISS。当時のマイナー音楽シーンで活発だったパンクでアヴァンでヴェルヴェッツを思わせる気違いじみたガレージサウンド。前半のフリー・ミュージックのレコーディングは、絶えずくり返されるリフのグルーヴとMazzacaneスタイルに良く似た手首の動きに断片的な即興の動きを結び付け、サイケデリック・ロックや流行から外れた音楽と現在のPSFレーベルの美学、即ちあらゆるジャンルを呑み込む凶暴性とを融合させる。園田、小沢、中根清吾 、上田みつひろをフューチャーした1977年の音源(〔poly-Performance〕〔Everything Lies Beyond The Burning Summer Grasses〕)は、偶像破壊的なロック・ギターへの礼賛によってインスパイアされた誇り高きサイケデリックのグルーヴ感を醸し出し、とりわけ美しい。園田自身による小沢の思い出に満ちた素晴らしいライナーノーツの中で、彼はこのトラックは自分自身の鎮魂でもある旨を記している。後の方に収録されているフリー・ミュージックのトラックは、謎めいたアンダーグラウンドの人物たちと並ぶ、東京のアシッド・フォーク・グループChe-SHIZUの向井千恵を含むバフォーマーたちに着目したものである。しかし、伝説的な吉祥寺・マイナーでの1977年のライヴを録音したANARkISSこそが本当に素晴らしいトラックと言えるだろう。3つのトラックは非常に痛烈で、狂気に満ちた壊れたギター、実に不快な喧音を立てるパンク・ヴォーカル、怒り狂った三上寛のカヴァーは、ガセネタやノイズ系CDの範疇を超えたマイナー精神の精髄を説く。これは日本のアンダーグラウンドCD棚に加わる強烈なCDだ。強く推薦したい。

(日本語訳 / 小萩太郎)

Dusted Reviews


Review date: May. 15, 2009

As a general rule, I think we can all agree that tribute albums are not a good thing. Somehow the idea of demonstrating a songwriter’s genius by recording invariably inferior versions of his or her songs has never made a lot of sense. Thankfully, this CD is not a tribute per se; in fact, the artist in question doesn’t even appear on many of the songs. Instead, this is just what it says: an evocation of memories. These early recordings by guitarist Satoshi Sonoda are his way of recognizing the impact that Yasushi Ozawa had on his life: "to document precisely the kind of sound-world that was invoked in my through my meeting with Yasushi Ozawa," as the liner notes say.

Ozawa was a longtime fixture of Tokyo’s avant scene whose passing last year at the age of 50 was a sad surprise. While best known for his role as bassist in Keiji Haino’s out-rock band Fushitsusha, he was a participant since the 70s in groups such as East Bionic Symphonia, Marginal Consort, and many others. I was fortunate enough to meet him on a few occasions and he was a quiet, self-possessed artist.

The notes in the booklet are filled with reminiscences by Sonoda of the late 70s scene in Tokyo. Legendary venues like Kichijoji’s Minor and Meidaimae’s Kid Ailack Hall are mentioned together with people like reed player Takashi Miura, and members of Gaseneta and East Bionic Symphonia. The biographical notes are also a fine contemplation of the changes in life that can be caused by meeting a single person -- in this case, Ozawa’s influence on Sonoda’s life through introducing him to people, places, and sounds.

The seven tracks are taken from five sessions, all recorded live in 1977 and ‘78. Stylistically there’s a lot of variation, from the opening "Free Music Space 1" and its slow, spacey psych to rough folk to free scronk. The two longest pieces, "Free Music Revolt (Rehearsal)" and "Free Music Space 6", are free-form jams that cover a lot of territory. The former includes Ozawa on bass, Mitsuhiro Ueda on drums, and SeigoNakane on violin, and progresses from an initial spacey scrapiness through sparse, near-silent moments to an intriguing rhythmic segment based around a repeating bass and pizzicato violin motif, with a slow guitar lead over the top. From there it gets crazier and more abstract. "Free Music Space 6" closes the CD with twenty minutes of free-form plunk and squeak, squawk and howl, featuring a large cast of characters including Chie Mukai and Takashi Miura. The three ANARkISS songs, live at Minor in 1977, are quite different, raw punky emotions and rough folk-strum and free-spazz, including a version of Kan Mikami’s "Piss-soaked Lake", a song with special meaning for Sonoda as explained in the liner notes.

I think that Sonoda wisely and correctly recognized that the greatest tribute to Ozawa would be to recognize and affirm the sort of personal impact he had on the world. This document reconstructs, to some extent, the milieu of thirty years ago and places Ozawa with Sonoda and others as they experiment with the time’s musical possibilities. To quote again from the liner notes: "It is also an attempt, as Ozawa put it, to take this world you’ve encountered, and throw it back at one you have yet to encounter." We’re in the latter, and fortunate to have the opportunity to listen to the former.

http://www.dustedmagazine.com/reviews/4994

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blogarchive 〜[椅子物語](chairs story)
http://d.hatena.ne.jp/chairs_story/20160909/1473401180

  

2022.12.20